100%コネかもね

かもね かもね コネ、かもね
課長に なっちゃう かもね
かもね かもね コネかもね
昇進しちゃう かもね
次の番、番、番
今年決めなきゃ
次の番、番、番
ただの主任

もうデリなんて呼ばないなんて言わないよ絶対

出勤表が出ないと何にもできないわけじゃないと

ブックマーク消したけど暇つぶし方がわからない

ほらDMM入ったもんね だけどあまり面白くない

君が下手だったら文句も思い切り言えたのに

 

週2回呼ぶときは  お金がかかるけど

やっとお金が貯まって来た

僕はもっと淋しくなった

 

卒業といった君の気持ちはわからないけど

いつもより丁寧なフェラに少しとまどっているよ

もし君に一つだけ強がりを言えるなら

もうデリを呼ばないなんて言わないよ絶対

 

2本並んだ電動バイブ1本捨ててしまおう

僕の趣味で買ったコスももったいないけど捨ててしまおう

オナニーを気持ちよくとテンガを抱える僕は

他の誰から見ても一番

オナニストだろう

 

こんなにいっぱいの君の写メ日記

ホテルの備品集めて暮らすのも幸せと知った

 

君の出勤表が サイトにあるうちは

次の仕事で困ってる

背中を思って心配だけど

 

2人でできなかったラーゲ

今度出会える君の知らない誰かと

試してみせるから

 

本当に本当に君が大好きだったから

もうデリなんて呼ばないなんて言わないよ絶対

 

夏目漱石「吾輩は猫である」はハチクロである。

吾輩は猫である」である。この小説、筋らしい筋はないせいか、とにかく長いので読了するのに大変苦労する。思わせぶりな伏線があるが、回収されずに終わったりと小説としての欠点も多い。なぜこの小説が当時話題になり、名作みたいになっているのだろう。

読書会の課題本でなくては、絶対に読まなかっただろうこの小説。(一度読もうとして挫折もしている。)無理やり読んでみたところ、読み終わったあとは、なんだか寂寥感に襲われ、もっと読みたかったなぁという気分であった。あんなに苦しんで読んだのにも関わらず…

一言で言うとこの小説はモラトリアム小説なんだと思う。主人公の苦紗弥先生はちゃんと教師として働いているし、子どももいるが、子どもにも無関心だし、友人の美学者の迷亭と馬鹿話ばかりしている。働いている場面の描写がないので、いつも家で仲間とわいわいやっている印象しかない。

で、なんでこの当時評判になったかというと、今東京芸大の人を描いた本が話題になっているように、すごいけど変だという人の需要が世の中にあるのだと思う。「吾輩」の主人公の苦紗弥先生は生活は苦しそうだが、超インテリだし、出てくる仲間も基本インテリである。そんな人たちが当時の最先端の哲学やら文学やらについて語りつつ、落語を下敷きにしたであろう馬鹿話をするのだからたまらない。こういう仲間に自分も加わりたいと当時の人が思ったであろうことは容易に想像がつくであろう。

で、私が似ているなと思ったのはハチクロである。あれは美大生をリアルに描いた漫画で、当時もモラトリアム生活に憧れた読者は多数いたと思う。その分野のなかで優秀でありながらもちょっと変わった人たちを描いたところも同じだと思う。他には「動物のお医者さん」とか「のだめカンタービレ」とか森見登美彦の小説も同じ系譜に見える。

吾輩は猫である」は寒月君の結婚が決まったことにより、モラトリアムの終わりを感じさせ、猫が死んでラストとなる。ハチクロもモラトリアムが終わり、今までのようなふわふわした楽しい青春は終わる。

そんなモラトリアム小説の先駆けとして「吾輩は猫である」を捉え直してみるといいのではないだろうか…