夏目漱石「吾輩は猫である」はハチクロである。

吾輩は猫である」である。この小説、筋らしい筋はないせいか、とにかく長いので読了するのに大変苦労する。思わせぶりな伏線があるが、回収されずに終わったりと小説としての欠点も多い。なぜこの小説が当時話題になり、名作みたいになっているのだろう。

読書会の課題本でなくては、絶対に読まなかっただろうこの小説。(一度読もうとして挫折もしている。)無理やり読んでみたところ、読み終わったあとは、なんだか寂寥感に襲われ、もっと読みたかったなぁという気分であった。あんなに苦しんで読んだのにも関わらず…

一言で言うとこの小説はモラトリアム小説なんだと思う。主人公の苦紗弥先生はちゃんと教師として働いているし、子どももいるが、子どもにも無関心だし、友人の美学者の迷亭と馬鹿話ばかりしている。働いている場面の描写がないので、いつも家で仲間とわいわいやっている印象しかない。

で、なんでこの当時評判になったかというと、今東京芸大の人を描いた本が話題になっているように、すごいけど変だという人の需要が世の中にあるのだと思う。「吾輩」の主人公の苦紗弥先生は生活は苦しそうだが、超インテリだし、出てくる仲間も基本インテリである。そんな人たちが当時の最先端の哲学やら文学やらについて語りつつ、落語を下敷きにしたであろう馬鹿話をするのだからたまらない。こういう仲間に自分も加わりたいと当時の人が思ったであろうことは容易に想像がつくであろう。

で、私が似ているなと思ったのはハチクロである。あれは美大生をリアルに描いた漫画で、当時もモラトリアム生活に憧れた読者は多数いたと思う。その分野のなかで優秀でありながらもちょっと変わった人たちを描いたところも同じだと思う。他には「動物のお医者さん」とか「のだめカンタービレ」とか森見登美彦の小説も同じ系譜に見える。

吾輩は猫である」は寒月君の結婚が決まったことにより、モラトリアムの終わりを感じさせ、猫が死んでラストとなる。ハチクロもモラトリアムが終わり、今までのようなふわふわした楽しい青春は終わる。

そんなモラトリアム小説の先駆けとして「吾輩は猫である」を捉え直してみるといいのではないだろうか…